仲間たちとの再会≪十月十八日≫ ―詩―タベルナを出るとすぐ、モナスティラキ駅へ引き返した。 バザールを覗く為だ。 ここのバザールは、イスタンブールと違い、道路の両側に店が並んでい る、線状のバザールなのだ。 このバザールからは、パルテノン神殿のある、アクロポリスの丘が見え る、すばらしい景観が眺められるのだ。 アクロポリスの下に、モナスティラキ駅があり、プラカ地区が存在してい る。 地下鉄からも見ることが出来たけど、こうした大理石で造られた、 過去の遺跡が思い掛けないところにある。 こんなところに遺跡があると言うくらい、自然に目の前に現れるのだか ら、感激してしまう。 大理石を盗んだり、傷つけたりする心配や、盗まれる心配が皆無と言って いいのだ。 警備のためのロープなどの囲いも、まったく見られないから不思議 だ。 そうした国の重要文化財の遺跡が、街の中の至る所に存在しているのだ。 古いギリシャ正教の寺院、民家・映画館に至るまで、大理石で造られてい る。 ギリシャ人にとっては、生活の中に遺跡が、自然と入り込んでいるのでは ないだろうか。 安宿の台所自体が、大理石で造られているのでも分かろうかと言うもの。 木と紙が日本人の生活の中に、入り込んできたように、ギリシャ人 にとって、大理石はなくてはならないものの一つなのだろう。 木や紙を通して日本人を語ってきたように、大理石を通してギリシャ人を 見ていく必要があるだろう。 大理石は、ギリシャ人の歴史そのものなのだ。 街の中には小高い丘が何箇所か見える。 日本で言えば、大阪城や江戸城のようなところかも知れない。 * バザールを出て、シンタグマSQ.に戻り、カフェテリアに腰を下ろ し、ひょっとして仲間たちに遭えるかも知れないと、期待をしながらのん びりとすることにした。 こんなとき、仲間たちがパルテノン神殿に上って我々を待っているなどと 言うことは、これぽっちも考えていなかった。 「あいつらのことだから、半日もあんなところで待っているわけない!」 そう確信していた訳だ。 こうして、のんびりとしていると、ゴールはアクロポリスじゃなく て、このカフェテラスにすれば良かったのに・・・・などと、思ってしま う。 トルコを出る前に考えていた、ゴールであるアクロポリスの丘の輝きは、 俺の中ですでに失われていたのかも知れない。 それはもう、長かったの苦しい・・・旅を振り返ると、無我夢中で旅して きた私の夢が終わってしまっていた事を、意味していたのかもしれない な。 閉会式などもうどうでもいいように思えた。 第二回大会の閉会式以上の感動も期待していなかった。 石垣島を離れていくとき、友達と俺をつないでいた、数本のテープがだん だんと真っ直ぐ伸びきり、・・・一つ一つ、海の中にひらひらと舞い落ち ていった、あの時の感傷に似ているものがある。 無理だと思っていた旅をやり遂げた満足感と、終わってしまった虚脱感が 入り混じっていたに違いない。 ボンヤリとやわらかい陽射しを浴びている今、そうしたことが頭の中 を支配していて、陽が落ちていってしまっている事を、忘れさせていた。 ・・・・・・と、急に寒い風が身にしみるようになり我に返った。 陽はもう銀行の高いビルの中に、今まさに落ちようとしている。 ”やつら、とうとう姿を見せなかったな~~!” などとぼやきながら、腰を上げた瞬間、まるで表舞台から登場してくる役 者のように、一列に並んで俺の目の前を、間違いなくやつらが通り過ぎよ うとしているではないか。 彼らは、俺にはぜんぜん気がついていないようだ。 マサオ・シンボ・チハル・テッシンの、まさしく四人だ。 俺「オ~~~~イ!」 シンタグマ広場中、響き渡るような大きな声で叫んだ。 四人はこちらを振り返り、俺を見つけて小走りにやってきた。 テッシン「いつ来たん。」 いつもの素っ頓狂なテッシンの声が響いた。 イスタンブール以来の再会だ。 俺 「今日だよ。」 テッシン「宿、決めたの?」 俺 「ああ。」 シンボ 「移ってきなよ。」 俺 「明日な。それより会長は?」 テッシン「会長も家族ももう到着してるよ。まだ来てないの は、O君と二人のW君だけかな。」 俺 「それはよかった。」 「親指一本の旅」にも、書かれていたけど、陸路でのギリシャ入りは 困難を極めたようだ。 それもそのはず、あの嵐に遭遇したのだから。 鉄心「ネー、ネー、ネー・・・聞いて、聞いて!聞いてくれ る。僕ちゃんなんかね、ギリシャの国境で一日中手を上 げてたのよ。な のに全然止まってくれないの。僕ち ゃん、悲しくなっちゃった。」 鼻ひげを蓄えた、関大三年生のC君も、いつもの調子で喋り捲ってい る。 新保君は新保君で、国境に近い所で、ヒッチハイクできず、トボトボ と歩いている正男君を、バス(アテネ行き)の中から見つけて、可愛そう になり運転手に途中で降ろしてもらい、正男と一緒に歩くことにしたそう だ。 正男を見つけたのが運のつきで、四日間で200KMというヒッチハイクに なり、相談した結果、テサロニキからアテネまで、飛行機で飛んでしまっ たと言うのだ。 彼らも堕落への道へ向っていったと言うことだ。 その四日間と言うもの、嵐に遭ったり、雨の夜に野宿など散々な目にあっ たと嘆いている。 ギリシャへ入ってから、アテネまでの道のりの遠かったこと。 どれだけ遠く思えたことだろう。 この苦しみに、果敢に挑戦していくこと、それこそヒッチハイクの真髄と いって良いのだが、なかなかやりきれないところに難しさがある。 |